寛永18年2月7日(1641年) 江戸幕府が初の武家系図集「寛永諸家家系図伝」の編纂命じる

寛永18年2月7日(1641年3月18日) 江戸幕府が太田資宗と林羅山に我が国初の武家系図集「寛永諸家家系図伝」の編纂を命じる。2年後に完成。
日光東照宮の「寛永諸家家系図伝 真名本」が重要文化財。

寛永諸家系図伝は、わが国最初の武家系図集で、三代将軍徳川家光の命によって、若年寄太田備中守資宗が奉行、林道春(羅山)が総裁となって寛永十八年(一六四一)二月に編纂が始められ、寛永二十年(一六四三)九月に完成した。のちの寛政重修諸家譜の基となった系図集として著名で、真名本と仮名本の二本が作られたが、その原本は江戸城の秘庫に蔵されて巷間に流布せず、清書原本各一本が現存しているにすぎない。
 この東照宮本はその真名本の浄書原本で、清和源氏六十二冊、藤原氏五十七冊、平氏十九冊、諸氏三十八冊、医者・同朋・茶道十冊の計百八十六冊を完存し、寛文九年(一六六九)に日光東照宮に奉納されたものである。

(文化庁 国指定文化財等データベースより)角丸ボタン-L

関連記事

  1. 弘仁14年3月1日(823年) 加賀国の誕生

  2. 文明13年3月9日(1481年) 足利将軍の御用絵師・宗湛(そうたん)、69歳で死す

  3. 神護景雲3年2月17日(769年3月29日) 陸奥国の桃生城・伊治城に移住する百姓を坂東8国から募る

  4. 治暦5年2月5日(1069)仏師円快、絵師秦致貞、法隆寺の聖徳太子坐像(伝七歳像)を造る

  5. 天明8年1月30日(1788年) 京都で大火、内裏や二条城の本丸御殿が炎上

  6. 明治41年(1908年)3月23日 平塚らいちょうが森田草平と栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。